二十歳のとき目の病気を発症しました。
原因不明で治療法のない難病で、当初は症状が活発でどんどん視力が下がっていきました。
あっという間に視覚障害者のレベルまで視力が下がり、車の運転もできなくなり仕事も失うこととなりました。

同じ病気の人たちと比べても私の症状はかなりひどかったようです。
主治医からは「失明する可能性がかなり高い」と言われました。

初めてそのことを告げられたときはショックでしたね。
ショックのあまりそのまま貧血で気を失い倒れたくらいです。

しかし、この病気は失明するかもしれませんが命に関わる病気ではありません。
目が見えなくなったとしても生きていかなければいけないのです。
目が見えなくてもできる仕事はなんだろうと模索しました。

これが私が治療家の道を選んだ経緯です。

さて治療家になるために国家資格を取得することになりました。
そのテストには全く目が見えない人のために点字のテスト用紙も用意されています。

しかし二十歳で目が悪くなった私はテストを受けられるレベルで点字を扱うことができません。
もし試験のときに目が見えない状態だったら……

試験に落ちてしまうことは覚悟しなければいけません。
そのプレッシャーからか比較的安定しだしていた症状が国家試験の半年くらい前から再びひどくなりだしました。

試験当日、見えない状態だったらどうしよう。
そんな不安といつも戦っていましたが、なんとか無事に国家試験に合格することができました。
 

国家資格を取得後、かねてから師事していた鍼灸の有名な先生のもとに弟子入り。
そして3年間の修行を経て、妻の地元である奈良市で治療院をかまえました。

しかし開院はしたものの最初は大変でした。
半年が過ぎても全然患者さんが来なくて売り上げが家賃分にも届かないことが続いたのです。

実はそのころ初めての子供も生まれていました。
そんな状態なのに売り上げはいっこうに上がらず、貯金がどんどん減っていく。

目の前で何が起こっているのかわかっていない自分がいました。
 

「イチから出直しだ!」

自分の至らなさを受け入れ、改めて基礎から勉強しなおしました。
実際に自分でいろいろ治療を受けにいき、その効果を自分の身体で実感しました。
それまでの「型にはまったような治療」ではなく「自分が受けたい治療」を追求するようになりました。

そのような私の姿勢の変化はすぐに結果に表れてきました。
しだいに患者さんが増えてきたのです。

家賃が払えるようになりました。

家族を養えるようになりました。
 

そして病気を発症してから二十年が過ぎました。
人生において、もう病気になってからの時間のほうが長くなりました。
いま「病気になって良かった」と心から思える自分がいます。

また、私にはちょっとした夢がひとつありました。

10代のころにドラマなどを見て憧れていた東京で暮らしてみたいということ。
それ、思い切って実行に移してみました。
いま吉祥寺という人気の街で暮らしています。本当に幸せだなぁ、と思います。
 

病気になったことは大変なことでした。
でも私にとっては開院してからのほうが大変でした。

こうした経験が同じように悩んでいる後進の役に立つはずだと思い、いまは治療技術を教える活動もしています。

治療を通じて一人でも多くの人の痛みなどの悩みを解決したい。

そしてみんなが生き生きと過ごせる世の中にしていきたいです。